2018年に書いたカメレオン・レンズ限界感想の転載です

以前自分が書いていたブログ(閉鎖済み)から、カメレオン・レンズ限界感想記事を転載します。3つの記事を1つにまとめているので、信じられないほどに長いです。

今改めて読んでみてもなかなか面白かったので、よかったらどうぞ。当時は「カメレオン・レンズ 歌詞の解釈 意味」みたいなタイトルをつけていたかと思われます。

気になったこととかに転載時の追記もつけています。

当時の公開順に合わせて、PV(ショートバージョン)の感想、楽曲の歌詞やら曲の構成やらの感想、PV(フルサイズ)の2番以降の感想という順番で掲載していきます。読みづらくて申し訳ないです。

公式YoutubeからPVを埋め込んでおります。上がショートバージョン、下が期間限定のフルバージョンです。

 

 

PV前半

このPVを見て言葉を失いました。(転載時の追記:言葉を失うの使い方になんか違和感)

まず高級車のCMに使われそうな静かなイントロから歌いだしまで

 

もう、もうすごいもの。
だって本当に高級車だもの。

 

車に詳しくないのでランボルギーニなのかフェラーリなのかよくわかっていませんが、それをバックにアーティスト名と曲名が映るというシンプルで洗練された始まり方。
とても好きです。

追記:本日3/14のZIP!にて、「ランボルギーニカウンタック」であると判明しました。世界に500台しかないとは……なんというお金のかけ方だ……。

歌詞の中にリンゴやバラなど赤が印象的なアイテムが出てくるため、そのイメージから赤い文字なのでしょう。

それもくすんだ赤。

君がいる鮮やかさには敵わないからくすんだ色なのかと考えると、このクレジットだけでもストーリー性が垣間見えてくるよう。好き。

 

そして歌い出しても映像はまだモノクロのまま。

昭仁さんが鏡越しに歌う姿と晴一さんが鏡越しにワイシャツの袖を整える映像。

 

何度か見返してやっと気づいたのですが、昭仁さんの姿って晴一さんが見ている姿見に映っているんですよね。

だから2人は同じ方向を向いているようで、実は背中合わせ。

そして同時に映ることがないというのもまた、「私が見ている世界とあなたが見ている世界は同じようでちがう」というこの曲のテーマどおりの演出なのかもしれません。

 

モノクロ映像のまま、くすんだ赤色の英字がかなり大きく画面に映し出されます。

もしかしたらこの演出が一番好きかもしれないです。

映像はスローに、そして無機質さすらある歌詞表示。

この部分っていわゆるコーラスパートだと思っているので、曲およびPVをきゅっと引き締める重要な部分になっているのは期待をはるかに超えていきました。
昭仁さん英語の発音上手くなったよね。

 

次にくるサビはBメロ(コーラスパート)で引き締められた分、より爆発力が増しています。

ここから映像がカラーになるのですが、それも全体的に青白い、冷たい印象を受ける色合い。

メンバー2人が同時に画面に収まる時間よりも、1人ずつ映る時間のほうが圧倒的に長いのも印象的です。

同じ曲を演奏しているのに噛み合っていないような、別の空気が流れているような演出も、「同じ世界にいるはずなのに徐々に噛み合わなくなっていく2人の世界」のようで見ていてもどかしい。

 

間奏

リンゴになりたい。(追記:正直でよろしい)

 

 

楽曲の感想

そもそも「カメレオン・レンズ」の意味とは

まず、そもそも「カメレオン・レンズ」というワードがどういう意味を持つのか。

このワード、1番の最初のほうにしか出てこないんですよね。
だからこそ曲を印象付ける意味合いなのかなとも思います。
解釈もたぶん十人十色になるやつです。

 

1番Aメロの歌詞を自分の中で消化していくと、「状況説明」の一言に尽きる。

(追記:実際に新藤晴一は「どうしても歌詞の1番は状況の説明になってしまいもどかしい」みたいなことを言っています)

だから「カメレオン・レンズ」という言葉も、何の説明もなく自然に出てくる。
「カメレオン・レンズ」の意味が各々の中にあることを前提として進んでいく形ですね。
新藤晴一の歌詞だとこういう「皆が意味を知っている前提で進める」という作品が多く感じられます。

最初は「見る人によって事実が異なっている、だから事実こそがカメレオンのように色を変化させていく」ものだと思っていましたが、フルでじっくり聴いてからは別の解釈に落ち着きました。

「カメレオン・レンズ」=「カメレオンのように色を変えるレンズ」という、シンプルなものなのかもしれません。
色眼鏡、というものが近いかもしれないですね。

 

「カメレオン・レンズ」というワードの世界観

「カメレオン・レンズ」自体がこの曲を象徴しているからこそタイトルになっているはずなのです。
「カメレオン・レンズ」という言葉にこんなにも魅力をかんじてしまうのは、その「色が変化する原因」がさまざまに想像できるからじゃないかと思います。

学生時代の片想いなんかを思い浮かべてみてください。
あれって、それだけで周りの景色がキラキラ見えていたように思えませんか?
想い人がいるこの世界は明るく感じられたような気がします。

自分の「感情」というレンズが、「好きな人がいる」という要因で色を変えたのだとしたらかなり腑に落ちるのです。

もちろんこれとは別の考え方もできます。
悲しいことがあれば世界が暗く見える。
世界ではなく自分の中にあるレンズの色がくるくると目まぐるしく変化しているのです。

だから、”君”がいる世界は信じられないほど鮮やか。
そして、赤い暗記シート越しに見る赤ペンの文字のように、この世にあるバラやワインなんていう鮮やかなものたちは、そのレンズの鮮やかさに透かされると色が失われたように見えてしまう。

リンゴの赤は君には美しく見えているのかもしれないけれど、君に出会ってしまった自分にとって、そのリンゴは色などないようなものなのだ。

同じリンゴを見ているはずなのに、まるで別の物体を見ているのかと感じるほど、君と僕の世界は別の世界になってしまっているのかもしれない。

また、PVからイメージできること。
それは

「このレンズを通してしまったらリンゴはおいしそうではない」

ということです。

PVで真っ赤なフィルターがかかったとき、リンゴは黒い何かにしか見えませんでした。
それっておいしそうじゃないですよね。

「色を失くしてしまった」だけではなく、「そのものの価値すら失われてしまった」ということなのかもしれません。

ここで「カメレオン・レンズ」という言葉から膨らんだイメージが、1番Aメロに集約されるのです。
ありのままの真実なんて誰も見てないし、見ることなんてできない。
この世界は1つじゃない、とも言えるし、感情によって世界が変わってしまうことすらありうるのです。

 

サビの「月」の解釈

1番サビの「月」もずっと引っかかっていたのですが、これはいわゆる月がきれいですね」というものなのかもしれません。

月がきれいですね」という言い回し自体、「同じものを見て同じ気持ちになれるということは、互いに愛を確かめ合えることと同義」と考えています。
だからこそ、同じ想いを抱きたくて肩を引き寄せる=君にも愛して欲しいという願いの表れかなと解釈しています。

でも浮かんでいるのは2つの月、君と僕は同じものなど見ていないし、分かり合えない関係。
つまり、まあ、社会的に許されない関係とか、もしくはひどくこじれた片想いとかになるんだろうと思います。
別れるかどうかの瀬戸際って感じもしなくはない。
最初から最後までハッピーで終われるような関係ではなさそうですね。
配色がめちゃくちゃなステンドグラスって、それはそれで鮮やかだろうけれど、人によっては許容できない代物なんだろう。そういうことだよ。

03/22追記:月自体が「愛情」を示している可能性もあるかなあと思いました。
同じ愛の形ではないことに対する悲しさとかやるせなさとか。
愛の形が同じだと思いたかったけれど、たぶん同じではなかったと気づいてしまったとか。
そういう表現としても捉えられますよね。

「肩を引き寄せる」という行為は愛情がなければなされない行為だと思っているので、僕は確実に愛情、好意を抱いているんですよね。

そして、「月蝕」という本来あるはずとは異なる形の愛情を求めてしまう関係なのかな、とも考えられます。主題歌として起用されていたドラマのテーマがテーマだったのでそれもありうるなあと。

 

2番サビから見る”僕”の本気具合

そう考えていくと、2番のサビで胸を締め付けられます。
だって僕は君に幸せの青い鳥を贈ったはずなんですよ。
それでも、僕が幸せだと感じたそれは、君にとっては不幸を報せるカラスに過ぎなかったわけです。
僕の報われなさが悲しいですが、これが報われない恋、祝福されない恋というものだとしたら理解はできます。
納得はできないですけどね。

 

そもそも、新藤晴一が書く歌詞の主人公は消極的なものが多いと思っています。
あれだけ明るいメッセージを持った「ギフト」すらも、主人公である「僕」はポジティブとは言いがたい様子ですしね。(追記:A New Day、テーマソングといったメッセージソングでも、その主人公は結構ネガティブです)

そう考えると、この曲の主人公である「僕」の愛が重いのも想像がつく。
他人である君に幸せの青い鳥をあげようなどというこの、このおこがましさ。
おこがましいけれどそれが僕の愛情表現の精一杯なのかもしれない。……重いですね。

 

同じ月を見ている」という事実に希望が抱けなくなった以上、「月など出ていない」という真実のみを追い求めてしまうのもわからなくもないです。
だって、「月が見えていない」というのは僕と君の間ですらもどう足掻いても一緒だもの。

 

やるせなさが爆発している名曲ですね。

 

歌い方の変化

ここ数年昭仁さんの歌い方が変わってきているんですよね。
ライブでも実際「4年くらい前(追記:2018年当時)からボイストレーニングを始めた」なんて話もしていましたし。

今までのパワーで押す、高音もダイナミックに歌い上げる、さわやかもしくは力強い歌声っていうポルノグラフィティのイメージをいい意味で覆すような歌い方になってきました。
もちろんパワーゴリゴリの歌い方も健在だしそれもずっと好きです。

すごく簡単に言うと「歌に感情がこもっている」という変化です。
10年ほど前の歌い方とか今聴いてみるとかなり機械的ですものね。それも好きですが。

こういうせつなさ、やるせなさが前面に出ている歌詞の歌い方、本当に変わりました。

(追記:BEツアーの弾き語りパートにて「ポリリズムはあんなに青筋を立てて歌う曲じゃないよ、とスガシカオさんに言われてしまった」と発言していたので、たぶんですが、スガさんの助言がなければこんなに大きく変化することはなかったのかも、とも思います)

ぜひ環境を整えて聴いてみてくださいね。

 

曲調から感じる新しさ

こういうダンスミュージック?みたいな曲ってインディーズ時代っぽいなあと感じました。(追記:EDMじゃね?)
そのあたり教養がないのであまり上手く言えませんが……。
90年代後半から00年代初期のイメージといえば伝わりますかね。
(追記:たぶんサザンの愛の言霊とか福山雅治のHEAVENとかを連想しています)
そういう曲を平成ももうすぐ終わるこの時代に出してきた衝撃といったらないです。
ギターの音とかまさにそれ。
Skoop On Somebodyのゲストコーラスとかもほんとそれ。
ポルノグラフィティだけでは出せなかった要素だもの。

というか、コーラスの価値がすごく高いんですよね。
ここまで上質なコーラスをもってこられるとは思いませんでした。
逆に言えばコーラスの力で盛り上がりを作っているとも言えます。
たぶんラストのサビの盛り上がりはコーラスがなければ成り立たないんじゃないかな、とも。

でも全体を通してすごく新しいんですよ。
ポルノグラフィティにはなかった」という点だけではなくて、「今までやりたくてもできなかった」というような技術的な面もあるのかもしれないです。

 

曲の構成の感想

イントロからAメロにかけて、徐々に音が増えていくところがとても好きです。
静かなデジタルギターの音から始まり、カチッ……カチッ……という音も入ってきますよね。
細かな音が少しずつ増えていくというのは、こんなにも心を引きつけるものかと驚きました。

Bメロ、頭上は鍵盤の音色に、足元はギターの音色に捕らわれてしまったような感覚になります。
その中心にいるのは昭仁さんのボーカル。
そういう音の作り方って新しくて、ああいった感覚になるのは初めてかもしれません。

イントロからの盛り上がりが一気にサビにつながるあの感覚。
よいです。とても。
ギターめちゃくちゃかっこいいんですよ。
というか、BUTTERFLY EFFECTの楽曲からギターがよりしっかり聴こえてくるなあと感じます。(追記:ポルノの曲は昔からギターも目立っている方だと思いますよ)
芯の通った、それでいて広がりのあるギターの音が響く間奏とかめっちゃくちゃかっこいい。
すごくいい音で鳴っているんですよ。

 

ジャケットの素晴らしさ

ジャケットの不可能図形も素敵です。
不可能図形が幸せの鳥と同じ青なのも良さです。

ジャケットが発表されたときの衝撃といったらなかったです。
過去にも青春花道で別の意味での衝撃もありましたが、それとは別の衝撃でした。(追記:ここで青春花道のジャケ写のことを出してくるのはわろた)

曲のイメージは聴き手である私の中でも仕上がっていたので、そこにあまりにも合致したジャケットだなあ、と。
たまにこういうことをしてくるから、ポルノグラフィティは侮れない。

 

全体のまとめ

ジャケットの不可能図形も、相手の気持ちを知るというのも、不可能ですもの。
自分のものでも分かりきっているとは言えないのだから。

それでも、他人の気持ちという理解不可能なものに惹かれてしまうのって人間の性なのかもしれません。
恋愛って結局は知らない人の知らない部分をどう受け止めるか、みたいなものじゃないですか。
もしかしたら隠れて浮気しているのかもしれない、もしかしたら私以上に相手の方が愛情が深いのかもしれない。
でもそんなのって100%理解するのは不可能なんですよ。

それでも人は恋をしてしまう。
相手が人じゃなくてもいいんです。
相手が人だろうが人じゃなかろうが、相手のことなんてわからないからこそ”恋”というものが存在するのかもしれませんね。

 

 

PV後半

2番で印象的なのはバラ、リンゴ、車の鍵、ワインといった小物が多く使われている点かなあと思います。

2番Aメロに出てくるのは一輪のバラで、昭仁さんの手慰みにもてあそぶ様子とその横顔が見事にマッチしているのです。

PVが出るたびに思うんだけど、昭仁さんってめっちゃ役者だと思うんだよな。(追記:メリッサのPVとかすごくすごいと思います)(追記の追記:2021/10/18現在ポルノグラフィティの公式Youtubeチャンネルにて期間限定でほぼすべてのシングルのPVがフルで見られます。よろしかったらぜひ)

ここでも2人が同時に画面内におさまることもなく、交互に一輪のバラを眺めるのみなのもまた良し。

「色を失くし~」でバラが下に落とされる(?)のも歌詞とリンクしていて最高です。

 

2番Bメロの照明が美しい。そこで車の鍵を持つ昭仁さんと赤いリンゴを持つ晴一さん。

照明で照らし出される位置と、反対に逆光になる位置にいるという配置もよく考えられているなあと思いました。

ここでとうとうかじられるリンゴ。
いいですね。
リンゴになりたいですね。

あとここからサビに入る音ハメがすごくいいんですよ。

サビ前の「No No No No」というフェイク(だと思っている)に合わせた映像の切り替えが多くて、サビへの盛り上がりが上手く演出されているんですよ。

いいですよこれ。
ポルノグラフィティのPVはいいぞ。

 

サビでとうとう来ましたよ。以前朝の情報番組でも取り上げられたランボルギーニをバックに演奏する2人”が。

これ2番のサビだからYouTubeのショートバージョンでは見られない部分だったんですよね。
すっかり忘れていた。

ここでようやく2人が同じタイミングで同じ画面に映し出されるのです。

1番サビもほとんど1人ずつだったもんね。それが高級車をバックにしたこの場面で満を持しての登場ってわけです。

そりゃあ見てるこっちもテンションはあがりますわ。
メンバーはランボルギーニにテンションが上がっていたわけですけれども。

映像としてはすごくシンプルで、ランボルギーニの前で演奏する2人と、たかれるスモークのみです。

このシンプルな構図がとても美しくて、1枚の絵画にすら思えてくるぐらいです。これはぜひ見て欲しい。

あと最近の昭仁さんのビジュアルがすごい。よい。(追記:晴一さんもビジュアルいいですよ!)

 

ここからギターソロ→Cメロと続くのですが、ギターソロではランボルギーニをバックに演奏する姿がメイン、そこにカメレオンやらつぼみを手にする昭仁さんやらが音に合わせて映されていくのです。

Cメロで画面全体に真っ赤なフィルターがかけられ、手に持ったリンゴは黒く、バラの花びらは白く見える。

これこそが歌詞の感想記事で書いた「鮮やか過ぎるフィルターを通して見た世界」なんだろうなあと思います。

 

黒い何かを食べたところで味など感じないだろうし、白い何かがはらりはらりと床に落ちたところで感慨などないだろう。

かじられたリンゴと、空になったワイングラスと、バラの花びらと……。
全部何の価値もなくなってしまったように見えてしまう。

Cメロ後半は1番サビみたいな、青みがかった映像になるのです。

そこからまた「No No No No」のフェイクで音に合わせて真っ赤なフィルターが。

すごい。

ぴったり音に合っていて鳥肌すら立つ。

 

最後のサビはランボルギーニをバックにした映像から。

昭仁さんはPV撮影時も曲に合わせて歌っていると言ってますよね。このPVでもそんな熱量を感じられます。

ランボルギーニ、バラを持っていた室内の赤い映像、青白い窓際の映像、と切り替わっていくなかで、晴一さんがワインらしきものを手にする瞬間があります。

これも赤いフィルターのせいで黒い何かにしか見えないんですよね。
まったくおいしそうになど見えない。

 

アウトロで真っ赤なバラの花びらがはらはら落ちるのを見ている晴一さんのカットがありますが、そこが本当に好きです。

フィルターのかかっていないそのままの色だからこそ、落ちていく花びらが美しい赤色をしているのですが、今ではもう美しいと感じる必要があるのかわからなくなってしまいます。

そこまで考えられているのだとしたら本当にすごいPVだ。

最後の1音に合わせてアーティスト名と曲名のクレジットのみが画面にドンと表示される演出も最高です。

そういう演出って作品が急に終わる印象のほうが強いのですが、この曲とこのPVの場合無理やり終わらせるからこそ余韻に浸れるといういい終わり方だと思いました。

そこだけでも見て欲しい。

映画を1本鑑賞したかのような満足感は、この終わらせ方によるものである部分も大きいと思います。

 

 

 

以上です。