ポルノグラフィティに命を救われた話

こんにちは。かなりお久しぶりですね。

本ブログも訳あって閉じてしまったので、こんな長文を書くこと自体想像以上に久しぶりです。

 

 

本題

2018年の春に、パニック障害になりました。

パニック障害、最近は治る病ということで「パニック症」とも呼ばれているらしいですね。

2018年の4月上旬の月曜日、馬喰町にあった当時の職場から電車に乗って帰宅しようとした際、なぜか、なぜかとしか言えませんが、毎日乗っていた電車にとてつもない恐怖を抱きました。

 

乗りたくても乗れない。当時心療内科でもらっていた抗不安薬を飲んでも恐怖心は消えず、帰るに帰れなくなりました。

乗るか乗らないか1時間迷い、結局別の駅まで歩いて、1駅ずつ休憩しながら帰った記憶があります。確か帰宅するのに4時間かかりました。

 

翌日以降も電車に乗れず、以前ここにも書いたことがあるように仕事を辞めました。

 

当時はそのうち治るだろうと思っていましたし、その1週間後か2週間後には彼氏と電車に乗ってお出かけしました。近場でしたが。

その時は電車のドアが閉まるたびに激しい動悸がして、生きた心地がしませんでした。

 

よくなるのか悪くなるのかもよくわからないまま、2018年は生きていました。あまり記憶がありませんが、突然夜中にベッドの中で発作が起こったこともあります。

とにかく、死んだほうがマシだと思っていました。

でも、死ぬことに対しては人一倍恐怖を覚えていました。

空を飛んでいるカラスを心の底からうらやましく思っていました。

 

 

2019年春

ポルノグラフィティが20周年記念として、東京ドーム2daysのライブを開催すると発表しました。

当時のアパートからドームまでは電車で1本でしたし、どうしても行きたくて、電車に乗る練習をしようと心に決めました。

 

4月、たしかこの時も彼氏に来てもらったのかな?以前よりは幾分か楽に乗れるようになりましたが、それでもしんどかったです。

夜部屋でテレビを見ているときも「これからライブに向けてこんなにつらい思いをしないといけないのか」と思ったことを覚えています。たしか福山雅治が出ているテレビを見ていた時です。

 

少しずつ練習していき、よくなってきたかと思えばまた後退し、牛歩ってこのことかって感じです。

7月からは本格的に練習しました。誇張ではなく、本当に、天候が悪い日以外は毎日電車に乗っていました。

毎日ツイッターでその日の成果を報告し、毎回褒めてくれたフォロワーさんには感謝の気持ちしかありません。本当にありがとうございました。

 

9月7日

吐きながら電車に乗った記憶があります。

ドームに着いても人の波。自分の座席が中間地点だったので、ずっと不安でした。

ただ、1曲目のプッシュプレイを聞いたとき、あのふたりの声を聞いたとき、すさまじい達成感がありました。

 

9月8日

内容はライブレポみたいになってしまうので省きますが、VSのラスト、金箔というのでしょうか、キラキラした特効とセンターステージのふたりの姿を見たときに、あ、私は生きていていいんだと思えました。私のまだ中途半端な人生の中でも、1番に感動したかもしれません。

幸せなことって後になって思い出したときに噛みしめるものだと思うのですが、アンコール後、ふたりと一緒に乾杯ができたこと、デビュー20周年おめでとうを言えたこと、とても幸せでした。

このライブには彼氏も来てくれたのですが、遠方に住んでいるのに私のために何度も手伝ってくれて、本当に感謝しています。ありがとう。

 

そこから目標がなくなり、また電車に乗る機会は減っていったのですが、2019年9月7日と9月8日に向けて、死に物狂いで努力したことは無駄になったとは思っていません。

 

2020年、2021年はコロナ禍ということもあり、ますます電車に乗る機会は減りました。

 

 

2021年9月、THE FIRST TAKEのサウダージにいたく感動し、もともと長年のファンではあったのですが、またしても、初めて出会ったころのように再燃したのです。

そして、9月の終わり、突然、本当に突然、「私のあの死ぬかもしれない恐怖って、相当レア体験では?」と考えるようになりました。

理由はわかりません。

 

パニック障害は自分の個性です」とおっしゃっている野球選手の方がいます。

その事実は知っているし、頭ではわかっていたつもりでしたが、なんというか、その感覚が心の底から理解できてしまったのです。

なぜでしょうね。

 

私は絵を描くこと、文章を書くことが好きです。

その根底には、ポルノグラフィティへの憧れもあると思うのです。

私のパニック障害の体験は、というか、あの死ぬかもしれないという恐怖は、正直に言うと誰にも味わってほしくないものです。つらすぎるからです。

だからこそ、それを逆手にとって、「私のこの体験は、私の尊敬するあの人たちですら経験したことのないことなんだな」などと思ってしまうのでした。

 

雷に撃たれる衝撃……というとドラマチックですが、そんな明確なものではなく、なんか気づいたら思考回路がひっくり返っていたのです。

 

草間彌生さんのことをご存じの方も多いと思います。

あの方は、ご自身の統合失調症の時に見た幻覚を芸術作品に昇華させていると耳にしたことがあります。

極論ですが、私だってそういう思考回路になってもいいんじゃない?と、思えるようになりました。

 

今月、私は実家に帰ってきました。

あまり詳しく書くと居住地がバレてしまうので大まかに書きますが、東京から実家までは公共交通機関を利用してもトータルで5時間近くかかります。

すごく普通でした。

「また発作が起こったら、そのときの気持ちをメモして、そういう恐怖心を煽るような作品を書いてみたいな」などとのんきに考えていたのですが、まさか、発作どころか不安感自体皆無になるとは思ってもいませんでした。

パニック障害になってから、まさか自分が実家に帰ることができるようになるなんて、3年前は考えもしませんでした。

 

パニック障害になったときも「まさか自分がこんなことになるなんて」と思ったものですが、今回も「まさか自分がこんなことになるなんて」って気持ちです。前者はネガティブ、後者はポジティブな意味という違いこそありますが。

 

人生、何があるかわからないものですね。

私の場合は、先ほども書いたように理由ははっきりとはわかっていないのですが、小学生のころからずっと大好きなポルノグラフィティに支えてもらった事実は確かなものです。

 

ポルノグラフィティに命を救われました。

 

自分でもパニック障害の完治というものはわからなくて、まだお薬は飲んでいます。

ですので、またいつかあの発作がやってくる可能性もあります。

でも、なんか、あれだけ怖かった発作が、今は逆に楽しみになっている自分もいます。

 

ほんとうにありがとう。

あなたたちを好きになった過去の私を、今ではすべて肯定できます。

 

 

田舎に帰ってきたので、しばらくは在宅で仕事を探しながら生活していこうと思っています。

将来、たぶん彼氏と結婚すると思いますが、そのときも、きっと、すごく楽しい生活になるものだと思うんですよね。

 

 

私のつまらない、ちっぽけな人生に彩をくれた人たち、皆様に感謝しています。

ありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。